マラソンは楽し

定雄

2013年05月17日 01:09

  ブログ書き込み再開 まずはマラソンから

 日米間の株が「うなぎ上りに上昇」しているようです。
 それが長続きして景気が良くなることを願うのは、僕だけではあるまい。

 さて、ここはアメリカ合衆国、イリノイ州の片田舎である。


 人間の習性とは不思議なもので、しばらくブログの更新をさぼっていたら、いつの間にか、一年が過ぎ、あれよあれよと二年が過ぎてしまった。特に、ぼくは、いざとなると、もって生まれた「ものぐさ性格」があらわになり、「ブログ書き込み?何ですか、これ」、と、他人ごとになるのです。

 よって、ぼくも、年も70歳代をとっくに過ぎた今、同級生の「やれ、脳の血流が悪く倒れた、とか、ボケ寸前までとはいかないが、少しおかしくなった」、とかの声を聴くたびごとに、自分の体を大切にしなければと、思うこの頃である。
 幸いにして、昔、幼少時代の「粗食生活」の賜物かもしれないが、体はいたって健康、これを持続させんが為の努力を怠らないよう、頑張らなければなるまい。

 体を健康に保つために、いろいろ努力方法は人それぞれでしょうが、ぼくは「毎日のランニング」ですね。

 まずは、先日のマラソン大会の出場記録をごらんあれ。
 ここ、イリノイ州で毎年開かれている、「ILLIOIS MARATHON大会」。
 ぼくはこの大会に毎年出場しております。毎年と言っても、去年と今年の二年連続出場のみですが。

 

 画面の写真をクリックすると大画面になります。
 この大会、出場者20,000名以上。主にフルマラソンとハ—フマラソンなのですが、何せ、ランナーが多くて、スタートラインを通過するのに20分以上かかります。
 ちなみに、ぼくは、20,000名中、12,000番くらいからスタ—トしました。先頭から約20分遅れです。
 面白い事に、女性ランナーが約6割もおります。アメリカでは、女性が健康意識が強い証拠でしょう。

 

 禿頭(失礼しました)とともに走っております。
 普段は、車でごったがえす街中の道路ですが、この日はランナー専用。
 面白い事に、日本では、マラソンは日曜日に開催されますが、アメリカでは主に土曜日。この違いは生活習慣の違いでしょう。

 ぼくは、かっこよく、頭には白いハチマキ、手には白い手袋。
 何のことはない。ハチマキは、昔親戚が「カジマヤー」の時の記念タオル。つまり安物の白い生地を切っただけのタオル。
 また、白い手袋は、沖縄から持ち返った農作業用の軍手。
 かっこよく見せるのに、高級品はいらないのです。

 スタートして、7キロ地点でしょうか、そろそろ疲れが出てくる頃です。
 後方の頭の涼しそうなランナーを追い越したばかりです。


 

 日本のテレビマラソン中継に、よく先頭ランナーが早くて一人で走っている様子を「一人旅しています」、と、表現しますが、ぼくは早くて一人旅しているのではなく、遅れての一人旅です。でも後ろにはまだ数千名のランナーが走っております。

 ここは、町なかにある、公園。バックには日本の「しだれ桜」が満開しており、その前を走っていますから、「先頭での一人旅」、と、行っても見る人は信用するでしょう。


 

 中間点も過ぎ、大分疲れてきました。
 年を重ねると、走り始めはあまり疲れは感じませんが、中間点を過ぎるころから、足はガクガクするわ、足首は痛いわ、誰かに追い越されると、「この野郎、追い越すとカーハガリンドー」、と、一人で怒る訳です。
 一人で、怒り出すと、とっても疲れている証拠になります。

 その時は、早く終わって、「ビールで乾杯」の夢を見ながら、ひたすら走続けます。


 

 終点近く、イリノイ大学のキャンパスの中に入りました。
 スタート地点は大学構内、終点も大学キャンパス内、町全体が大学町なので、ここまで来ると疲れはすっとんでしまいます。
 口が割れても、怒って「カーハガリンドー」とは言いません。
 特に、ここでは、数名の若い女性を追い越したわけですから、気持ちは高ぶっております。
 若い女性を追い越すから、一人で、「ぼくの足も捨てた物でもないぞ」、と、ひとりでニヤニヤ。


 


 いよいよ、フィニシュ。たまたま、どこかの女性との同時フィニシュになりました。

 延べ時間は、「3:14:21」、になっていますが、スタート時点で20分後に走り始めましたから、
 ぼくの正式タイムは「2:56:30」でした。
 この時間をフルマラソン時間に換算すると、6時間弱になりますが、まー、それが僕の実力でしょう。

 因みに、ハ―フマラソンに参加した、70歳以上のランナーは10名そこそこですので、
 かってのマラソンランナーの「有森裕子さん」、が言った、「自分を褒めてやりたい」、心境です。


 

 フィニシュラインの、大学フットボールスタジアム。
 これだけ多くの応援団がいると、走っている時の苦しさも忘れて、また明日から走り始めるぞー、と、闘志が湧いてくるのは、走り終わった走者しか味わえない、爽快さでしょう。
 昨年も同じ感じでしたが、今年はまた一段と喜びが湧いて来ました。



 


 はい、これではさようなら。また、来年を楽しみに。

 いや、次のブログを楽しみに。
 ぼくのドライバー名は、なんでしたっけ、
 そうだ、ヤンバラーでした。