自給自足を目指して。
最近、我がパソコンがおかしくなった。
いや、パソコンのせいではなく、我が取り扱いがおかしいかも知れない。
パソコンを操作中に、突然暴走するのだ。
一度、暴走を始めると、止まらなくなる。
あっせってしまって、訳が分からなくなり、メチャクチャになる。
昔は、「コンピュータの山城」、と、言われたものだが、大分脳みそが劣化したようだ。
三浦雄一郎さんの話を続けたい。
山登りと言うのは、野球、サッカー、マラソン等と違って、地味なスポーツである。
けれど、登山中の苦しみは、山登りしてみなければ分からない。
ましてや、80歳になって、エベレストに登頂すると言うことは、生死に関わる問題である。
因みに、エベレスト山頂付近は、我々が生活する地上に比べて、酸素量が三分の一なのだそうだ。
低酸素と、極端に低い温度では高齢者が動くのは無理と言うもの。
それを、三浦さんは克服したのだ。
ついでに、最近仕入れた情報によると、エベレスト山頂付近では、低酸素と低温で80歳の人間の動く動作は150歳の人間に相当するそうだから、もはや三浦さんは生きてはいられない状況に陥っていた筈である。
ところが、三浦さんは、無事登頂に成功して、元気に下山しました。
これが、快挙でなくて、何が快挙ですか。
ぼくは、今度の三浦さんの快挙を「国民栄誉賞」に値するものと確信する。
ところで、ここはアメリカ、イリノイ州の片田舎である。
三浦さんの国民栄誉賞の話を続ける前に「家庭菜園」の話も続けなければならない。
面白いもので、農業用のクワなどを担いでいると、イパッシの専門家に見える。
この御仁は、ド素人なのか、経験者なのかは判断出来ないが、少なくとも、ある程度菜園は経験済と見える。
御仁曰く、「畑仕事においては、ワテの右に出る人はいないはず」。
分別のある方が、自分を「ワテ」とは言わないと思いますが。
国民栄誉賞と言うのは、めったに与えられない、それこそ日本では最高の誉れ高き勲章である。
よって、今まで賞にあずかった方々は、いずれも国民から絶賛を浴びた方々であり、めったにもらえるものではない。
ところが、日本政府とあろうものが、ある特定のプロ野球球団に片を持つのは如何なものか。
つい先日の、総理大臣が「アンパイヤ」を務めたプロ野球の始球式での話である。
いや、正式には二人の「国民栄誉賞」の受賞式でのはなし。
ぼっくは、プロ野球にケチをつけるつもりは毛頭ない。
しかし、ある特定の野球球団のファンから「袋叩きに遇う」のを覚悟で、「言論の自由」を楯に申し述べたい。
あの二人は、国民から「野球が上手い、人気がある、師弟関係にある」のを理由に国民栄誉賞が与えられたそうだ。
これは、日本政府によるある特定のプロ野球球団に対する「エゴひいき」としか思われない。
この球団が人気のない弱小球団だったら、この栄誉賞はなかったはずだ。
国民栄誉賞は、国民がその賞を貰うだけの功績がなければならない、と、思わなければならない。
しかるに、この二人は、人気がある、上手い、師弟関係にある、だけではないか。
王選手を例に取ろう。彼はホームランで世界最多を成し遂げた。誰にも出来ない快挙である。誰もが納得する「国民栄誉賞」である。
またの例は、衣笠選手。衣笠さんは、20年以上も連続で試合に、休みなく出場した。誰にもl出来ない快挙である。
野球選手の器量を一人一人比較するつもりはないが、言いたいことは、「国民栄誉賞」は、国民が納得しなければならない。
これは、ぼく一人の「一人呟き」だから、不問にして貰いたい。
つまらないことで雰囲気を壊したくありませんから。
ぼくは、正直言って、あの二人が好きです。持論とは相反しますが。
でも、これもまた、世間が言う、「高齢者」が何かにつけて突っ込むことに対し至福を感じる楽しみの一つ。
繰り返しますが、三浦雄一郎さんこそ、日本国民全体一致で「国民栄誉賞」に値する快挙を成し遂げました、と、思うでしょう。
余談が長すぎました。
ぼくは、ジャガイモを作るのが、特に好きで毎年大きな球を作っている。
ジャガイモを作る際に、アメリカんちゅは、畝をた高くしてそのてっぺんにジャガイモ球を埋めてしまいます。
ところが、ぼくは、いわゆる沖縄のやんばる方式で、長い溝を掘り、そこにジャガイモを埋めます。
その後、ジャガイモが20センチほど成長したら、溝を埋めて平にします。
その後、ジャガイモが50センチほどに成長したら、再びジャガイモに「寄せ土」を行い、最終的には8月ごろ収穫になります。
基本的に追肥は必要ないが、他人のジャガイモより大きくするために「有機肥料」を施します。
現在、我が菜園に種を蒔いた野菜は、にんにく、ジャガイモ、玉ねぎ、トマト、キャベツ、ブロッコリー、ピーマン、春菊、ほうれん草、レタス、山東采、ふだん草、ETC.
これだけの野菜を植えておれば、秋ごろまで、野菜の不自由はありません。これこそ、まさに野菜の「自給自足」です。
願わくは、昔みたいに、この「アタイ小(ぐわ)ー」の片隅に、豚小屋でも立てて、豚肉の自給自足と行きたいものだが、はたして当局が許してくれるかどうか。
それがダメなら、せめて菜園周辺を闊歩している、シカでもやっつけて、「ヤギ汁」ならぬ、「シカ汁」でもと、思いは馳せれど、これもまた、当局に阻まれそうだ。
いやいや、書きたいことは山ほどあれど、「国民栄誉賞」に阻まれて、時が過ぎてしまった。
次回は、もっと面白い話をしなければと、思っております。
ハルサーとヤンバラー。