2013年06月10日
病気にならない生き方
食事と適度の運動効果
慶応大学医学部の医者である、近藤 誠先生の健康に関する本がベストセラーになっているようです。
題して、「医者に殺されない47の心得」。
本のタイトルが怖い。
怖いと言うか、なんだか、「買わないとあなた医者に殺されますよ」、と、叫んでいるようで、気の弱い人は買うように仕向けているみたいで、本屋に直行するように仕向けたお蔭で、ベストセラーになっているかも知れません。
ぼくなども、「介護保険費」を払うようになって、健康に関する書籍はよく読む方だが、いかんせん、日本の本を買うのにシカゴまで行かねばならず、今のところ、パソコンでの書評を読む程度しか出来ない。
ここはアメリカ、イリノイ州の片田舎である。
近藤さんの本は、17年ほど前に「患者よ、ガンと闘うな」、を読んだことがあり、医者のほとんどを敵に回して、良く書いたものだと感心したことがある。
当時、1996年頃、慶応大学の講師のタイトルを持っておりましたが、2013年6月現在、いまだに慶応大学の講師なのだそうだ。
1948年生まれだそうだから、全然出世はしていないことになる。
あるいは、異端児医者であるが故に、出世できない仕組みになっているかもしれません。
長いあいだ会社勤めを経験したぼくでも、会社内で異端児ならば、出世街道から取り残される事は数多く見てきた。
特に、東京辺りでは、「生き馬の目を抜く」社会を経験したお蔭で「村八分」されるのは、目に見えている。
しかし、大学も「生かさず、殺さず」で頑張っているものだ。

この本の目次を見ると、病気になりたくなければ、運動はウォーキングが最適であるようで、毎日のように走っているぼくなどは、ちょっと運動のやり過ぎかもしれません。
しかし、ランニングを日常の活動にしていると、そう簡単にやめる訳にはいきません。
大体、医者とか、健康アドバイザーは、得てして保守的だから、「健康の為に走って下さい」、とは言わないと思います。
先だって、ある医者は「ランニング」はけがのもと、ウォーキングが最適なんだと。
なんでも、数多い病気の中で、ガンほど誤診が多い病気はないそうです。
と、言うことは、「あなたガンですよ」、医者に言われても、誤診かもしれないし、あまり心配する必要はないことなのか。
それに、ガンになっても、90パーセントは治らないから、手術も、抗がん剤投与も無駄であり、かえって命を縮めてしまうときたら、ガン検診は無駄と言う事になる。
現に、近藤さんは「検診、治療の真っ赤なウソ」、と言い切る。

太っている人は、病気になる確率が高いので、適正体重にしてください、は医者の決まったムンテラです。
ムンテラとはなんぞや。
ぼくは医学用語には疎いので、はっきりは説明できませんが、ムンテラとは、医者が患者に言う「アドバイス」みたいなものであるようです。
たとえば、医者が血圧の高い患者に「血圧が高いので塩分は控えるように」、とムンテラした、と使うようです。
余談になりますが、一時間ランニングすると大体600キロカロリーのエネルギーを使います。
一時間ウォーキングすると200キロカロリーしかエネルギーは使いませんから、ランニングすると三倍のエネルギー消費になります。
太っている人には、断然ランニングをおすすめします。
かくいうぼくも、走り始めてから、73キロあった体重が65キロに減りました。
これ以上体重を減らすと、今度は体が軽くなりすぎて、いわゆる「クンチ」がなくなり、走れませんから65キロ以下には下げません。
面白い事に、近藤さん曰く、「ビール、一日にロング缶二本までなら、”百薬の長”」。
ビ―ル愛好家には、なんと嬉しいムンテラである事か。
しかし、「患者よ、病気と闘うな」、はちょっと言い過ぎではないか。
もし、それがまかり通るのであれば、病院は要らないし、医者もいらない事になる。

このように、過激な言葉を平気で言うから、医者全員から袋叩きに遇うかも知れませんよ。
また、「たくさんの薬を出す医者は信用するな」。 これは一理あります。ぼくも薬大嫌い人間。
ぼくは、走れなくなるようであれば、「老化現象ですよ」、と言われても納得します。
それまでは、スピードは落ちても、走り続けるのが一番の健康法。
まあ、食事は有機野菜をふんだんに食しているので、何の問題もありませんが、近藤さんが、
「100歳まで生きる食の心得は、タマゴと牛乳を毎日摂取すること」、なのだが、
ある医者は、「牛乳は子牛の飲み物、人間には百害あって、一利なし」、さて、誰が正しいのか。
ぼくは、牛乳飲むと「お腹がゴロゴロして、下痢する」ので飲みません。ですから百害あって一利なし、ぼくには正しいです。
近藤さんの本は、タイトルとか目次は過激な表現だが、本の中での説明は親切で、大変読みやすいと感じました。
出来れば、早めに本屋さんで買って、読みたいものだが、暫くは無理なようです。
いずれにしても、情報は多いのに越したことはないが、本の中身は取捨選択して、自分で消化しなければならないでしょう。
パソコンでのこの本に対する批評で、賛否両論だが、好意的な評価が多かった気がします。
自分のランニングと近藤 誠医者の本に対する愚論をステレオタイプで表現し、取りとめのない内容になりました。
続きを読む
慶応大学医学部の医者である、近藤 誠先生の健康に関する本がベストセラーになっているようです。
題して、「医者に殺されない47の心得」。
本のタイトルが怖い。
怖いと言うか、なんだか、「買わないとあなた医者に殺されますよ」、と、叫んでいるようで、気の弱い人は買うように仕向けているみたいで、本屋に直行するように仕向けたお蔭で、ベストセラーになっているかも知れません。
ぼくなども、「介護保険費」を払うようになって、健康に関する書籍はよく読む方だが、いかんせん、日本の本を買うのにシカゴまで行かねばならず、今のところ、パソコンでの書評を読む程度しか出来ない。
ここはアメリカ、イリノイ州の片田舎である。
近藤さんの本は、17年ほど前に「患者よ、ガンと闘うな」、を読んだことがあり、医者のほとんどを敵に回して、良く書いたものだと感心したことがある。
当時、1996年頃、慶応大学の講師のタイトルを持っておりましたが、2013年6月現在、いまだに慶応大学の講師なのだそうだ。
1948年生まれだそうだから、全然出世はしていないことになる。
あるいは、異端児医者であるが故に、出世できない仕組みになっているかもしれません。
長いあいだ会社勤めを経験したぼくでも、会社内で異端児ならば、出世街道から取り残される事は数多く見てきた。
特に、東京辺りでは、「生き馬の目を抜く」社会を経験したお蔭で「村八分」されるのは、目に見えている。
しかし、大学も「生かさず、殺さず」で頑張っているものだ。

この本の目次を見ると、病気になりたくなければ、運動はウォーキングが最適であるようで、毎日のように走っているぼくなどは、ちょっと運動のやり過ぎかもしれません。
しかし、ランニングを日常の活動にしていると、そう簡単にやめる訳にはいきません。
大体、医者とか、健康アドバイザーは、得てして保守的だから、「健康の為に走って下さい」、とは言わないと思います。
先だって、ある医者は「ランニング」はけがのもと、ウォーキングが最適なんだと。
なんでも、数多い病気の中で、ガンほど誤診が多い病気はないそうです。
と、言うことは、「あなたガンですよ」、医者に言われても、誤診かもしれないし、あまり心配する必要はないことなのか。
それに、ガンになっても、90パーセントは治らないから、手術も、抗がん剤投与も無駄であり、かえって命を縮めてしまうときたら、ガン検診は無駄と言う事になる。
現に、近藤さんは「検診、治療の真っ赤なウソ」、と言い切る。

太っている人は、病気になる確率が高いので、適正体重にしてください、は医者の決まったムンテラです。
ムンテラとはなんぞや。
ぼくは医学用語には疎いので、はっきりは説明できませんが、ムンテラとは、医者が患者に言う「アドバイス」みたいなものであるようです。
たとえば、医者が血圧の高い患者に「血圧が高いので塩分は控えるように」、とムンテラした、と使うようです。
余談になりますが、一時間ランニングすると大体600キロカロリーのエネルギーを使います。
一時間ウォーキングすると200キロカロリーしかエネルギーは使いませんから、ランニングすると三倍のエネルギー消費になります。
太っている人には、断然ランニングをおすすめします。
かくいうぼくも、走り始めてから、73キロあった体重が65キロに減りました。
これ以上体重を減らすと、今度は体が軽くなりすぎて、いわゆる「クンチ」がなくなり、走れませんから65キロ以下には下げません。
面白い事に、近藤さん曰く、「ビール、一日にロング缶二本までなら、”百薬の長”」。
ビ―ル愛好家には、なんと嬉しいムンテラである事か。
しかし、「患者よ、病気と闘うな」、はちょっと言い過ぎではないか。
もし、それがまかり通るのであれば、病院は要らないし、医者もいらない事になる。

このように、過激な言葉を平気で言うから、医者全員から袋叩きに遇うかも知れませんよ。
また、「たくさんの薬を出す医者は信用するな」。 これは一理あります。ぼくも薬大嫌い人間。
ぼくは、走れなくなるようであれば、「老化現象ですよ」、と言われても納得します。
それまでは、スピードは落ちても、走り続けるのが一番の健康法。
まあ、食事は有機野菜をふんだんに食しているので、何の問題もありませんが、近藤さんが、
「100歳まで生きる食の心得は、タマゴと牛乳を毎日摂取すること」、なのだが、
ある医者は、「牛乳は子牛の飲み物、人間には百害あって、一利なし」、さて、誰が正しいのか。
ぼくは、牛乳飲むと「お腹がゴロゴロして、下痢する」ので飲みません。ですから百害あって一利なし、ぼくには正しいです。
近藤さんの本は、タイトルとか目次は過激な表現だが、本の中での説明は親切で、大変読みやすいと感じました。
出来れば、早めに本屋さんで買って、読みたいものだが、暫くは無理なようです。
いずれにしても、情報は多いのに越したことはないが、本の中身は取捨選択して、自分で消化しなければならないでしょう。
パソコンでのこの本に対する批評で、賛否両論だが、好意的な評価が多かった気がします。
自分のランニングと近藤 誠医者の本に対する愚論をステレオタイプで表現し、取りとめのない内容になりました。
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Posted by 定雄 at
16:51
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2013年05月28日
家庭菜園の楽しみー続編
自給自足を目指して。
最近、我がパソコンがおかしくなった。
いや、パソコンのせいではなく、我が取り扱いがおかしいかも知れない。
パソコンを操作中に、突然暴走するのだ。
一度、暴走を始めると、止まらなくなる。
あっせってしまって、訳が分からなくなり、メチャクチャになる。
昔は、「コンピュータの山城」、と、言われたものだが、大分脳みそが劣化したようだ。
三浦雄一郎さんの話を続けたい。
山登りと言うのは、野球、サッカー、マラソン等と違って、地味なスポーツである。
けれど、登山中の苦しみは、山登りしてみなければ分からない。
ましてや、80歳になって、エベレストに登頂すると言うことは、生死に関わる問題である。
因みに、エベレスト山頂付近は、我々が生活する地上に比べて、酸素量が三分の一なのだそうだ。
低酸素と、極端に低い温度では高齢者が動くのは無理と言うもの。
それを、三浦さんは克服したのだ。
ついでに、最近仕入れた情報によると、エベレスト山頂付近では、低酸素と低温で80歳の人間の動く動作は150歳の人間に相当するそうだから、もはや三浦さんは生きてはいられない状況に陥っていた筈である。
ところが、三浦さんは、無事登頂に成功して、元気に下山しました。
これが、快挙でなくて、何が快挙ですか。
ぼくは、今度の三浦さんの快挙を「国民栄誉賞」に値するものと確信する。
ところで、ここはアメリカ、イリノイ州の片田舎である。
三浦さんの国民栄誉賞の話を続ける前に「家庭菜園」の話も続けなければならない。

面白いもので、農業用のクワなどを担いでいると、イパッシの専門家に見える。
この御仁は、ド素人なのか、経験者なのかは判断出来ないが、少なくとも、ある程度菜園は経験済と見える。
御仁曰く、「畑仕事においては、ワテの右に出る人はいないはず」。
分別のある方が、自分を「ワテ」とは言わないと思いますが。
国民栄誉賞と言うのは、めったに与えられない、それこそ日本では最高の誉れ高き勲章である。
よって、今まで賞にあずかった方々は、いずれも国民から絶賛を浴びた方々であり、めったにもらえるものではない。
ところが、日本政府とあろうものが、ある特定のプロ野球球団に片を持つのは如何なものか。
つい先日の、総理大臣が「アンパイヤ」を務めたプロ野球の始球式での話である。
いや、正式には二人の「国民栄誉賞」の受賞式でのはなし。
ぼっくは、プロ野球にケチをつけるつもりは毛頭ない。
しかし、ある特定の野球球団のファンから「袋叩きに遇う」のを覚悟で、「言論の自由」を楯に申し述べたい。
あの二人は、国民から「野球が上手い、人気がある、師弟関係にある」のを理由に国民栄誉賞が与えられたそうだ。
これは、日本政府によるある特定のプロ野球球団に対する「エゴひいき」としか思われない。
この球団が人気のない弱小球団だったら、この栄誉賞はなかったはずだ。
国民栄誉賞は、国民がその賞を貰うだけの功績がなければならない、と、思わなければならない。
しかるに、この二人は、人気がある、上手い、師弟関係にある、だけではないか。
王選手を例に取ろう。彼はホームランで世界最多を成し遂げた。誰にも出来ない快挙である。誰もが納得する「国民栄誉賞」である。
またの例は、衣笠選手。衣笠さんは、20年以上も連続で試合に、休みなく出場した。誰にもl出来ない快挙である。
野球選手の器量を一人一人比較するつもりはないが、言いたいことは、「国民栄誉賞」は、国民が納得しなければならない。
これは、ぼく一人の「一人呟き」だから、不問にして貰いたい。
つまらないことで雰囲気を壊したくありませんから。
ぼくは、正直言って、あの二人が好きです。持論とは相反しますが。
でも、これもまた、世間が言う、「高齢者」が何かにつけて突っ込むことに対し至福を感じる楽しみの一つ。
繰り返しますが、三浦雄一郎さんこそ、日本国民全体一致で「国民栄誉賞」に値する快挙を成し遂げました、と、思うでしょう。
余談が長すぎました。

ぼくは、ジャガイモを作るのが、特に好きで毎年大きな球を作っている。
ジャガイモを作る際に、アメリカんちゅは、畝をた高くしてそのてっぺんにジャガイモ球を埋めてしまいます。
ところが、ぼくは、いわゆる沖縄のやんばる方式で、長い溝を掘り、そこにジャガイモを埋めます。
その後、ジャガイモが20センチほど成長したら、溝を埋めて平にします。

その後、ジャガイモが50センチほどに成長したら、再びジャガイモに「寄せ土」を行い、最終的には8月ごろ収穫になります。
基本的に追肥は必要ないが、他人のジャガイモより大きくするために「有機肥料」を施します。

現在、我が菜園に種を蒔いた野菜は、にんにく、ジャガイモ、玉ねぎ、トマト、キャベツ、ブロッコリー、ピーマン、春菊、ほうれん草、レタス、山東采、ふだん草、ETC.
これだけの野菜を植えておれば、秋ごろまで、野菜の不自由はありません。これこそ、まさに野菜の「自給自足」です。
願わくは、昔みたいに、この「アタイ小(ぐわ)ー」の片隅に、豚小屋でも立てて、豚肉の自給自足と行きたいものだが、はたして当局が許してくれるかどうか。
それがダメなら、せめて菜園周辺を闊歩している、シカでもやっつけて、「ヤギ汁」ならぬ、「シカ汁」でもと、思いは馳せれど、これもまた、当局に阻まれそうだ。
いやいや、書きたいことは山ほどあれど、「国民栄誉賞」に阻まれて、時が過ぎてしまった。
次回は、もっと面白い話をしなければと、思っております。
ハルサーとヤンバラー。
最近、我がパソコンがおかしくなった。
いや、パソコンのせいではなく、我が取り扱いがおかしいかも知れない。
パソコンを操作中に、突然暴走するのだ。
一度、暴走を始めると、止まらなくなる。
あっせってしまって、訳が分からなくなり、メチャクチャになる。
昔は、「コンピュータの山城」、と、言われたものだが、大分脳みそが劣化したようだ。
三浦雄一郎さんの話を続けたい。
山登りと言うのは、野球、サッカー、マラソン等と違って、地味なスポーツである。
けれど、登山中の苦しみは、山登りしてみなければ分からない。
ましてや、80歳になって、エベレストに登頂すると言うことは、生死に関わる問題である。
因みに、エベレスト山頂付近は、我々が生活する地上に比べて、酸素量が三分の一なのだそうだ。
低酸素と、極端に低い温度では高齢者が動くのは無理と言うもの。
それを、三浦さんは克服したのだ。
ついでに、最近仕入れた情報によると、エベレスト山頂付近では、低酸素と低温で80歳の人間の動く動作は150歳の人間に相当するそうだから、もはや三浦さんは生きてはいられない状況に陥っていた筈である。
ところが、三浦さんは、無事登頂に成功して、元気に下山しました。
これが、快挙でなくて、何が快挙ですか。
ぼくは、今度の三浦さんの快挙を「国民栄誉賞」に値するものと確信する。
ところで、ここはアメリカ、イリノイ州の片田舎である。
三浦さんの国民栄誉賞の話を続ける前に「家庭菜園」の話も続けなければならない。

面白いもので、農業用のクワなどを担いでいると、イパッシの専門家に見える。
この御仁は、ド素人なのか、経験者なのかは判断出来ないが、少なくとも、ある程度菜園は経験済と見える。
御仁曰く、「畑仕事においては、ワテの右に出る人はいないはず」。
分別のある方が、自分を「ワテ」とは言わないと思いますが。
国民栄誉賞と言うのは、めったに与えられない、それこそ日本では最高の誉れ高き勲章である。
よって、今まで賞にあずかった方々は、いずれも国民から絶賛を浴びた方々であり、めったにもらえるものではない。
ところが、日本政府とあろうものが、ある特定のプロ野球球団に片を持つのは如何なものか。
つい先日の、総理大臣が「アンパイヤ」を務めたプロ野球の始球式での話である。
いや、正式には二人の「国民栄誉賞」の受賞式でのはなし。
ぼっくは、プロ野球にケチをつけるつもりは毛頭ない。
しかし、ある特定の野球球団のファンから「袋叩きに遇う」のを覚悟で、「言論の自由」を楯に申し述べたい。
あの二人は、国民から「野球が上手い、人気がある、師弟関係にある」のを理由に国民栄誉賞が与えられたそうだ。
これは、日本政府によるある特定のプロ野球球団に対する「エゴひいき」としか思われない。
この球団が人気のない弱小球団だったら、この栄誉賞はなかったはずだ。
国民栄誉賞は、国民がその賞を貰うだけの功績がなければならない、と、思わなければならない。
しかるに、この二人は、人気がある、上手い、師弟関係にある、だけではないか。
王選手を例に取ろう。彼はホームランで世界最多を成し遂げた。誰にも出来ない快挙である。誰もが納得する「国民栄誉賞」である。
またの例は、衣笠選手。衣笠さんは、20年以上も連続で試合に、休みなく出場した。誰にもl出来ない快挙である。
野球選手の器量を一人一人比較するつもりはないが、言いたいことは、「国民栄誉賞」は、国民が納得しなければならない。
これは、ぼく一人の「一人呟き」だから、不問にして貰いたい。
つまらないことで雰囲気を壊したくありませんから。
ぼくは、正直言って、あの二人が好きです。持論とは相反しますが。
でも、これもまた、世間が言う、「高齢者」が何かにつけて突っ込むことに対し至福を感じる楽しみの一つ。
繰り返しますが、三浦雄一郎さんこそ、日本国民全体一致で「国民栄誉賞」に値する快挙を成し遂げました、と、思うでしょう。
余談が長すぎました。

ぼくは、ジャガイモを作るのが、特に好きで毎年大きな球を作っている。
ジャガイモを作る際に、アメリカんちゅは、畝をた高くしてそのてっぺんにジャガイモ球を埋めてしまいます。
ところが、ぼくは、いわゆる沖縄のやんばる方式で、長い溝を掘り、そこにジャガイモを埋めます。
その後、ジャガイモが20センチほど成長したら、溝を埋めて平にします。

その後、ジャガイモが50センチほどに成長したら、再びジャガイモに「寄せ土」を行い、最終的には8月ごろ収穫になります。
基本的に追肥は必要ないが、他人のジャガイモより大きくするために「有機肥料」を施します。

現在、我が菜園に種を蒔いた野菜は、にんにく、ジャガイモ、玉ねぎ、トマト、キャベツ、ブロッコリー、ピーマン、春菊、ほうれん草、レタス、山東采、ふだん草、ETC.
これだけの野菜を植えておれば、秋ごろまで、野菜の不自由はありません。これこそ、まさに野菜の「自給自足」です。
願わくは、昔みたいに、この「アタイ小(ぐわ)ー」の片隅に、豚小屋でも立てて、豚肉の自給自足と行きたいものだが、はたして当局が許してくれるかどうか。
それがダメなら、せめて菜園周辺を闊歩している、シカでもやっつけて、「ヤギ汁」ならぬ、「シカ汁」でもと、思いは馳せれど、これもまた、当局に阻まれそうだ。
いやいや、書きたいことは山ほどあれど、「国民栄誉賞」に阻まれて、時が過ぎてしまった。
次回は、もっと面白い話をしなければと、思っております。
ハルサーとヤンバラー。
Posted by 定雄 at
18:55
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2013年05月28日
家庭菜園の楽しさ
自給自足を目指して。
冒険家の三浦雄一郎さんが80歳にして、三度目のエベレスト登頂に成功した事を聞いて、自分の事のように嬉しくなり、通常の倍近いビ―ルを飲んでお祝いしました。
年齢が80歳と言うのは簡単だが、それって、日本人男性の平均寿命が79歳だから、それよりも上であり、特に10歳近くも若いぼくにとって、とてつもない記録である。
山に登った経験のない人には、ぴんと来ないかもしれないが、山原の山中で育ったぼくにはその登る苦しさが、手に取るように分かります。
Posted by 定雄 at
05:24
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